項 王 自刎 現代 語 訳。 項王自刎白文, (古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」

項王自刎白文, (古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」

✋ 謂 二 ヒテ項王 一 ニ曰 ハク、 烏 う 江 こう の 亭 てい 長 ちょう 、 船 ふね を 檥 ぎ して 待 ま つ。 語釈 [ ] 短兵(たんぺい) - 刀・剣などの短い武器。 常 つね に 之 これ に 騎 き る。

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」 顧 かえり みて 漢 かん の 騎 き 司 し 馬 ば 呂 りょ 馬 ば 童 どう を 見 み て 曰 い はく、「 若 なんじ は 吾 わ が 故 こ 人 じん に 非 あら ずや。 歌 うた ふこと 数 すう 闋 けつ 、 美 び 人 じん 之 これ に 和 わ す。

項王の最期(3)原文・書き下し文・現代語訳

😍 「 吾 われ 兵 へい を 起 お こしてより 今 いま に 至 いた るまで、 八 はっ 歳 さい なり。 」 「 吾 われ 聞 き く、『 漢 かん 我 わ が 頭 こうべ を 千 せん 金 きん 邑 ゆう 万 ばん 戸 こ に 購 あがな ふ。 「吾聞 ク、『漢購 二 フト我 ガ頭 ヲ千金邑万戸 一 ニ。

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) 且 ツ籍 与 と 二 江東 ノ子弟八千人 一、渡 レ リテ江 ヲ而西 セシモ、今無 二 シ一人 ノ還 一 ルモノ。

項王の最期(4)『我何面目見之』原文・書き下し文・現代語訳

😀 独〜 (ひとり〜ノミ) 今(いま)独り(ひとり)臣(しん)のみ船(ふね)有り(あり) - 今、私だけが船を持っています。 乃 チ 令 し 二 メ 騎 ヲシテ皆下 レ リテ馬 ヲ歩行 一 セ、持 二 シテ短兵 一 ヲ接戦 ス。 嘗 テ一日 ニ行 クコト千里 ナリ。

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吾 われ 若 なんじ が 為 ため に 徳 とく せしめん。

四面楚歌/項王の最期(現代語訳・解説あり) 項羽本紀第七 史記 漢文

♥之 これ を 殺 ころ すに 忍 しの びず。 此 こ れ 天 てん の 我 われ を 亡 ほろ ぼすにして、 戦 たたか ひの 罪 つみ に 非 あら ざるなり。

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是 ここ に 於 お いて、 項 こう 王 おう 大 おお いに 呼 よ びて 馳 は せ 下 くだ る。 項王乃 チ曰 ハク、 項 こう 王 おう 乃 すなわ ち 曰 い はく、 項王はそこで(呂馬童に)言った。

四面楚歌/項王の最期(現代語訳・解説あり) 項羽本紀第七 史記 漢文

😄 」 嘗 かつ て 一 いち 日 にち に 行 ゆ くこと 千 せん 里 り なり。 遂 つい に 漢 かん の 一 いっ 将 しょう を 斬 き る。

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」 乃 すなわ ち 其 そ の 騎 き に 謂 い いて 曰 い はく、「 何如 いかん。

項王自刎白文, (古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」

😭 」 諸 しょ 君 くん の 為 ため に 囲 かこ みを 潰 つい やし、 将 しょう を 斬 き り 旗 はた を 刈 か り、 諸 しょ 君 くん をして 天 てん の 我 われ を 亡 ほろ ぼすにして、 戦 たたか ひの 罪 つみ に 非 あら ざることを 知 し らしめん。

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項王乃 チ馳 セ、復 タ斬 二 リ漢 ノ一都尉 一 ヲ、殺 二 ス数十百人 一 ヲ。

四面楚歌/項王の最期(現代語訳・解説あり) 項羽本紀第七 史記 漢文

☺ 駿 しゅん 馬 め あり、 名 な は 騅 すい。 赤泉侯、人馬倶 ニ驚 キ、辟易 スルコト数里 ナリ。 縦 ヒ江東 ノ父兄憐 ミテ而王 レ トストモ我 ヲ、我何 ノ面目 アリテカ見 レ エン之 ニ。

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是に於いて項王乃ち悲歌忼慨し、 自ら詩を為りて曰はく、 「力山を抜き気世を蓋ふ 時利あらず騅逝かず 騅の逝かざる奈何すべき 虞や虞や若を奈何せん。 常 つね に 幸 こう せられて 従 したが ふ。

(古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」

❤ 」 6項王曰、「此沛公左司馬曹 こたえあわせ:剣豪「宮本武蔵」が書いた兵法の極意書は? 五輪書 ごりんのしょ 葉隠 はがくれ 禁秘抄 きんぴしょう 梅松論 ばいしょうろん 五輪書 ごりんのしょ 「四面楚歌」の由来 「四面楚歌」は中国の秦~前漢の時代、紀元前202年の出来事が元となってできた故事成語です。

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願 ハクハ為 二 ニ諸君 一 ノ快戦 シ、必 ズ三 タビ勝 レ タン之 ニ。 」 馬 ば 童 どう 之 これ に 面 めん し、 王 おう 翳 えい に 指 ゆび さして 曰 い はく、「 此 こ れ 項 こう 王 おう なり。

項王の最期(3)原文・書き下し文・現代語訳

🤣 でぶ ビデオの時間: 11 分 項王乃曰、「吾聞漢購我頭千金・邑万戸。 「 江 こう 東 とう 小 しょう なりと 雖 いえど も、 地 ち は 方 ほう 千 せん 里 り 、 衆 しゅう は 数 すう 十 じゅう 万 まん 人 にん あり。 今独 リ臣 ノミ有 レ リ船。

独 ひと り 項 こう 王 おう の 殺 ころ す 所 ところ の 漢 かん 軍 ぐん 、 数 すう 百 ひゃく 人 にん なり。 項 こう 王 おう 目 め を 瞋 いか らして 之 これ を 叱 しっ す。

(古典現代語訳ノート)司馬遷「史記/項王自刎」

✊ 語彙 [ ] 故人(こじん) - 昔なじみ。 烏江 ノ亭長、檥 レ シテ船 ヲ待 ツ。 何〜也 (なんゾ〜や) 何楚人之多也 (なんゾそひとのおおキや) 「何〜也」で「なんぞ〜や」と訓読して、「なんと 〜 なことよ」という 詠嘆(えいたん)を表す。

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「 吾 われ 公 こう の 長 ちょう 者 じゃ なるを 知 し る。 項 こう 王 おう の 軍 ぐん 垓 がい 下 か に 壁 へき す。

項王の最期の分かりやすいあらすじを、教えて下さい。

😆 項 こう 王 おう 笑 わら ひて 曰 い はく、「 天 てん の 我 われ を 亡 ほろ ぼすに、 我 われ 何 なん ぞ 渡 わた ることを 為 な さん。 語釈 [ ] 烏江(うこう) - 安徽省(あんきしょう)和県にある渡し場の地名。 左 さ 右 ゆう 皆 みな 泣 な き、 能 よ く 仰 あお ぎ 視 み るもの 莫 な し。

』吾為 レ ニ若 ガ徳 セシメント。